先日2歳年上の従兄が突然亡くなりました。
生まれ育った家も近く
子供の頃はよく遊んでもらったものですが
最後に会ったのはもう10年くらい前
ここ最近は何をやっていたのか全然知らなかったし
あまりにも突然の悲報に言葉も見つからなかったと言うか
改めて命について深く考えさせられました。
亡くなった従兄の弟の岳ちゃんとは歳も同じで
中学生の時はクラスも一緒で音楽を通じて
似た者同士が集まってよく馬鹿をやったものです。
そんな岳ちゃんが
「しんみりと送り出してもアイツが喜ばない」と
田舎町では前代未聞のファンキーな葬儀になりました◎
スライドショーがあったり
妹と友人によるダンスがあったり
岳ちゃんと親父さんの太鼓の共演があったりと
スノボやウェア、スケボーなど
残っていた遺品は単なるディスプレイではなく
欲しい人に持って行ってもらって使ってもらうようにしたりと
まるで結婚式の2次会のような雰囲気○
正確には葬儀はきっちりとした形式で行った後
葬儀場の上の階の会食の場で故人を偲ぶ会として行ったのですが
こういった形での葬儀は当然賛否両論
むしろ日本というお国柄でましてや小さな田舎町では
否定的に見る人の方が多いのかと思いますが
結果的に泣いて笑ってで本当に素晴らしい葬儀になりました。
自分の価値観でしか物事を量れない人間や
その価値観を無理矢理にでも押し付けようとする人間は沢山いますし
ある意味それは自分自身にとっても言える部分がある事だとも思います。
人間という生き物は自分の理解を越える物事には難色を覚える事が多く
そこに関わる事を避けたり、自分自身の行動にも制約を付けてしまうものです。
しかし他人からの目いわゆる世間体なんてモノは本質的にはどうでも良くて
「自分自身がどうあるべきか」
「人それぞれの個性を理解してしっかりと向き合って付き合う事が出来るのか」
といった部分が大切だと思いますし今回の葬儀はそう言う意味でも
家族や親族、良き仲間、良き理解者達が集まり
とても素晴らしい葬儀だったと感じました○
従兄は社会的に見ればマイノリティだったのかもしれませんが
葬儀場がパンパンになる程に沢山の人が集まって
中には本当の兄の様な存在だったと大泣きしてくれている人も居たりと
従兄の人望、人となりを感じました。
生前彼がとても大切にしていたのが
「人との繋がり」
自分の存在や価値はそれを評価してくれる人であったり
それを必要としてくれる人が居て初めて生まれる物で
ついつい自分の力だけで生きてると勘違いしがちだけど
結局一人では生きて行けない生き物なので
人との繋がりは本当に大切にして行きたいと思います。
そう言えば昔よく岳ちゃんが「兄選手」なんて言ってたけど
彼の背番号を永久欠番にするのではなく
残された者達がしっかりとそれを背負って生きて行かなくちゃだよね。
R.I.P. KAZ
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